今回は、昭和13年制定の九八式軍衣に装着する階級章と識別章の変遷について紹介したいと思います。
過去の軍装を正しく再現しようと思った場合、それが何年何月頃なのかというのは重要な要素になります。改正後の新しい規定に従った軍装をする場合は注意が必要で、いつからその規定が施行されているかを理解しないと、存在しない軍装になってしまうからです。
ただし、古い規定の軍装をする場合は、新規定が施行された後の時期であったとしても可となります。改正の勅令にも「従前の規定による制服は当分の内仍之を用ふることを得」と書いてあったりしますし、前線などにいる場合はすぐには更新されなかったりします。また旧規定に依る在庫があるうちも、無くなるまで使ったりします。
折襟式軍衣の襟章と識別章の変遷
折襟式軍衣になってから使用されるようになった襟章の変遷について簡単にまとめてみます。昭和13年(1938年)に折襟式の九八式軍衣が制定されたところから、襟章によって階級を示すように変更になりました。また詰襟式軍衣の時代には襟の鍬形章で表示していた各兵科、各部の定色は別の識別章で表示されるようになりました。
先人の出された書籍にこの変遷については書かれていたりしますが、そこからは引用せず、もう一度一次史料から確認をしていきます。
昭和13年 勅令第三九二号 陸軍服制改正1
昭和13年5月31日公布、同日施行
- 将校・准士官服制
- 襟章
- 仕様
- 地質 緋絨
- 線章 両縁:金線繍または平織黄絹線 中央:平織金線または黄絹線
- 星章 銀色金属 径?mm2
- 図面
- 横40mm、高さ18mm
- 襟の形状に応じ適宜角度を調整することを得
- 仕様
- 胸章(将官を除く)
- 仕様
- 地質 定色絨とす
- 仕様
- 襟章
- 下士官兵服制
- 襟章
- 仕様
- 地質 緋絨
- 線章 平織黄絹線または金線、ただし兵は線章を附けない
- 星章 下士官は銀色金属、兵は黄絨 径9mm
- 図面
- 横40mm、高さ18mm
- 仕様
- 胸章
- 仕様
- 地質 定色絨とし、茶褐絨の裏地を附す
- 仕様
- 襟章
一次史料に当たってまず分かったことは、服制上は、将校が黄色の線章を襟章に用いたり、下士官が金色の線章を襟章に用いても問題ないという点です。下士官用の官給の襟章は黄線だったかもしれませんが、金線を使った私物襟章を使用しても何ら問題がなかったということになります。
襟章の形状についても、将校准士官の襟章が平行四辺形になったのはもう少し後の改正からだと思い込んでいましたが、昭和13年時点で図面は既に平行四辺形になっており、襟の形状に合わせて角度をつけても良いという注意書きがなされています。下士官兵用の襟章の図面は長方形をしており、こちらには角度をつけても良いという注意書きはありません。
昭和15年 勅令第五八五号 陸軍服制中改正3
昭和15年9月13日公布、昭和15年9月15日施行
- 伍長と上等兵の間に兵長が新設される
- 右胸に付ける定色の山形の胸章が、兵科4は廃止、各部5のみとなる
- 憲兵科のみ襟の階級章の横に付ける特別徽章が制定
- つまり憲兵は、山形胸章の代わりに特別徽章を付けることになる
昭和15年 陸秘第一九〇五号6
昭和15年9月14日通定。襟部に付ける通称番号(部隊番号)や特別徽章などの襟部徽章に関する通達です。これにより、関東軍、帝国以外に駐屯する部隊、帝国以外にある動員部隊は襟部徽章を附けないことになりました(独立歩兵守備隊の特別徽章を除く)。士官候補生、幹部候補生、憲兵徽章などを除き、襟部徽章は廃止されることになりました。
昭和18年 勅令第七七四号 陸軍服制中改正7
昭和18年10月12日公布、同日施行。三式軍衣の制定もこの勅令に依ります。
- 山形の胸章が廃止となり、襟章の下につける4mm幅の識別章となる
- 襟章の星の配置が、中央揃えから身体の中央側に寄せるようになる
- 将校と下士官の星章の径が11mmに、兵は9mmのまま
- 将校の襟章の大きさが階級によって変更
- 尉官 横45mm、高さ20mm
- 佐官 横45mm、高さ25mm
- 将官 横45mm、高さ30mm
昭五式軍衣への九八式襟章の混用
当時の写真を見ると、昭五式軍衣の詰襟部に九八式襟章を装着しているものを見かけたりします。私もそういった写真を何枚か持っています。
これに関しては、混用を認める史料8が残っています。これによると、昭五式軍衣の肩章と襟章(鍬形)を外し、詰襟を改造することなくそのまま九八式襟章と山形胸章を右に取り付けて良いとあります。また、資源の節約のため、使えるうちは旧制式の昭五式軍衣を使用するようにともあります。日本陸軍では、古くなった軍衣は、三装9と呼ばれ演習や作業で着用する作業着として使用されました。当時の演習後などのスナップ写真で、昭五式軍衣に九八式襟章を付けている写真があるのは、三装に回った昭五式軍衣だと思います。
将校准士官であっても例外ではなく、昭五式を命数の限り使用し、新制式に合わせるためだけに新調することのないようにと書かれています。このような事情もあり、多くの将校用の昭五式が九八式に改造されたようです。私が唯一持っている実物の将校用軍衣も昭五式から九八式へ改造された形跡があります。
面白いことに、わざと旧服制で軍衣を新調するような将校もいたらしく、「要は被服資源節約を趣旨とすものなるを以て襟部の不具合、汚損等各種個人的理由に依る改造或いは必要やむを得さる新調は差支無き儀」という通牒も出ています。
襟章
それでは、下士官兵の九八式襟章について紹介をしていきます。「九八式襟章」という表現は、実際に当時の一次史料の中にも見られる表現です。
官給襟章
官給襟章は、残念ながら一つも実物を持っていません。気が付いたら実物は、私物襟章ばかり集めていました。
以下で紹介するのは、野狸製の官給襟章のレプリカです。通常の下士官兵用の襟章はこのように長方形をしていて、下士官を表す線は黄色のテープが使用されています。
私物襟章
主に下士官用のものが多いですが、将校用に似せた私物の襟章が存在しています。私物の襟章は、本来は在郷軍人が使用するものだったようですが、現役の軍人も部隊で使用していたと思われる節があります。
まず最初は、形は長方形のままで、黄色のテープに将校と同じ金線を使用しているパターンです。昭和13年の勅令第三九二号で確認しましたが、下士官が金線を使用することは規定上も認められていました。
こちらは実物で、兵長の襟章がまとめて3セット出てきたのを購入しました。非常に状態が良いので、おそらく未使用のデッドストック品と思われます。私物襟章は、このように兵長のものを基本として売られていて、自分の階級に合わせて星を後付けしたりしていたようです。
次に紹介するのは、金線を使用し、将校用のように形が平行四辺形になったパターンです。平行四辺形にすることについては、下士官兵用では規定されていませんし、遠目に見ると将校によく似ていますから、部隊によっては禁止していたりしたところもあるかもしれません。ただ、物資不足の状況下では黙認されていた可能性もあります。
以下の写真は両方とも実物で、下の伍長襟章の裏面を見てもらうと分かると思いますが、星章の足のピンが裏地に隠れておらず、むき出しになっています。これが、兵長の襟章に星を後付けしているのだろうと思ったもう一つの証拠です。ヤフオク上で見た他の私物襟章も、このように星の足が飛び出しているものが見られました。
ちなみに、このボロボロの伍長の襟章は、こちらの記事で紹介している実物九八式夏衣のポケットから出てきました。
実物は持っていませんが、この他に以下のような私物襟章を見かけたことがあります。
- 平行四辺形をした上等兵の襟章
- 織出襟章に金属の星章が付いたもの(兵長に星を後付け)
- 長方形だが縦横比が官給品と異なるもの(昭和18年勅令七七四号から将校用の階級章が大きくなったことに関係すると思われる)
私物襟章についてはネット上にはあまり情報が見られませんが、オークションなどで見ているとそれなりに見かけます。取引価格もそんなに高価ではなく、流通量から考えてもそんなに珍しい品でもなさそうです。
実際、現役の軍人がどれくらい使用していたかはわかりませんが、特に物資不足となってからは容認されていた可能性が高いと思われます。
いずれにしろ、軍装趣味としては、ちょっとしたワンポイントのオシャレとして金線や平行四辺形の私物襟章をつけてみたくなりますね。
織出襟章
織出襟章の制定についてアジア歴史資料センターの史料を探していたのですが、陸軍服制の改正の中には見つけられませんでした。
陸軍被服品仕様聚という史料の中に、試製織出襟章仕様書10を発見しました。制定が昭和14年5月26日、改正が昭和17年2月24日とありました。別の史料では、昭和18年の陸達第六十五号11には「両襟部に襟章(地質、線章及星章の色と同色を表はす織出襟章を用ふることを得)を附するものとす」という記述が見られました。
織出襟章の登場は昭和17年中盤~昭和18年頃ということでよいのかなと思います。
以下は中田商店製のレプリカで、防暑襦袢等の胸のボタンに取り付けができるように、台座に縫い付けられています。
識別章
識別章は、各兵科や各部の定色を表示するためのものです。昭和13年の九八式が制定されたときに胸章として制定され、昭和15年には兵科では廃止され、各部のみが身に着けることになります。その後、昭和18年からは襟章の下部につける識別章となりました。
胸章
その形状から、山形胸章などと呼ばれています。
以下はヤフオクで一応実物ということで購入したものですが、真贋は不明です。裏側の劣化具合を見ると、それなりの年月を経ているようには見えます。こちらは下士官兵用で、茶褐絨の台座が付いています。古くなった巻脚絆などの被服の切れ端が再利用されているようです。
襟部識別章
以下は私が作成したレプリカです。末期の制定だったこともあり、線の幅くらいしか指定がなく、あまり詳しい仕様は分かっていません。昭五式の鍬形を細く切って付けたというような話もあるそうです。
まとめ
元々は下士官兵の私物襟章の紹介をしようと思ってこの記事を書き始めましたが、陸軍服制の記述を確認しているうちにテーマが大きくなってしまいました。階級章の変遷については、まとまった文献も少なく、史料を一々当たって確認する必要がありますから、自分用の備忘としての意味もあって整理しました。皆さまの軍装活動のお役にも立てれば幸いです。
脚注
- 「御署名原本・昭和十三年・勅令第三九二号・陸軍服制改正」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03022207000、御署名原本・昭和十三年・勅令第三九二号・陸軍服制改正(国立公文書館) ↩︎
- 『陸海軍服装総集図典』(北村恒信編 1996年 国書刊行会)には径8mmとある。勅令第三九二号には書かれていないようだが… ↩︎
- 「御署名原本・昭和十五年・勅令第五八五号・陸軍服制中改正」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03022498500、御署名原本・昭和十五年・勅令第五八五号・陸軍服制中改正(国立公文書館) ↩︎
- 憲兵科、歩兵科、騎兵科、砲兵科、工兵科、航空兵科、輜重兵科 ↩︎
- 昭和13年時点では経理部、衛生部、獣医部、軍楽部の4つで、昭和15年に技術部、昭和17年に法務部が追加された ↩︎
- 「昭和5年陸達第8号陸軍服制第5条に依る服制並装具の制式に依る襟部徽章の制式の件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C01007786300、來翰綴(陸密)第1部昭和15年(防衛省防衛研究所) ↩︎
- 「御署名原本・昭和十八年・勅令第七七四号・陸軍服制中改正ノ件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03022866700、御署名原本・昭和十八年・勅令第七七四号・陸軍服制中改正ノ件(国立公文書館) ↩︎
- 「陸軍服制附則第3項に依る制式の混用に関する件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C01001561500、永存書類甲輯 第1類 昭和13年(防衛省防衛研究所) ↩︎
- 出征や閲兵時に着用する新品が一装、外出用が二装、普段着が三装。三装にはさらに甲と乙があり、三装の甲は衛兵勤務や隊内の儀式用、三装の乙が本当の普段着。一装は通常部隊保管で支給されず、二装が1着、三装の甲が1着、三装の乙が2着というように支給されていたらしい(『陸軍用語よもやま物語』比留間弘 1985 光人社) ↩︎
- 「陸軍被服品仕様聚 下巻/第2編 軍用被服諸材料/第5款 雑品」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14010285000、陸軍被服品仕様集 下巻 昭和17.10(防衛省防衛研究所) ↩︎
- 「昭和18年陸達第44号中左の通り改正す」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C01007837800、陸密陸普其他綴昭和18年2月~11月4日(防衛省防衛研究所) ↩︎