実物の八九式榴弾の紹介です。八九式榴弾は、八九式重擲弾筒から発射するための専用弾として使用されました。仮制式時の史料1によると、内部には150gの火薬が充填され、全備重量は800gでした。その威力は、破裂によって約100個の破片が生じ、10メートルが殺傷範囲でした。
今回は、安全化処理済みの実物を3発比較していきます。
左側の黄色帯入りの弾薬は、でくの房さんからお借りしたものです。昭和16年製で、下方の弾帯(銅帯)にライフリング痕が確認できないことから、未発射品である可能性が高いと思われます。
右側の個体はやや古く、昭和8年製です。弾頭は膨張しており、通常個体より口径が大きくなっています。また、弾体もラッパ状に開いています。詳しい方のお話によると、訓練弾として発射された個体では、このような変形が見られるようです。さらに、弾帯にはライフリング痕が確認できます。なお、この個体のみ各部品の刻印番号が一致しておらず、弾頭だけ異なる刻印となっています。
中央の個体は昭和17年製で、弾帯にはライフリング痕が確認できるため、一見すると発射済みのように見えます。しかし、弾頭や弾体には膨張が見られません。さらに、各部品の刻印番号も一致しているため、構成部品は当初の組み合わせを維持していると考えられます。なぜこの個体は膨張していないのか、その理由は不明です。
刻印の比較
まずは、各部の刻印を観察し、製造時期や製造工廠などの情報を読み解いていきます。
昭和16年7月 相模陸軍造兵廠製
ではまず、でくの房さんからお借りした個体の細部を確認していきます。
信管には、八八式小瞬発信管を示す「八八式」の文字のほか、右から左方向に「昭十七 4」、交差した砲身のマーク、「阪」の刻印が確認できます。「昭十七 4」は昭和17年4月の製造を示しており、交差した大砲のマークと「阪」の刻印は、大阪陸軍造兵廠製であることを表しています。
弾頭には、丸囲みの「ろ」の文字と、製造番号と思われる「4757」の数字が確認できます。あるいは、「ろ」を含めて一連の製造番号である可能性もあります。
今回紹介する他の個体にも、平仮名やアルファベットに数字を組み合わせた刻印が確認できます。そのため、「4757」だけが製造番号なのではなく、「ろ4757」全体で一つの番号を構成している可能性も考えられます。文字部分が一定数ごとに切り替わる、いわゆるインクリメント記号として用いられていたのかもしれません。
弾体には、右から左方向に昭和16年7月を示す「昭十六 7」、工廠を示すマーク、そして丸に「H」あるいは縦向きの「エ」にも見える刻印が確認できます。工廠マークは相模陸軍造兵廠のものです。
弾体にも、丸で囲みの「ろ」と「4757」の番号が確認できます。
弾底にも、丸で囲みの「ろ」と「4757」の番号が確認できます。
昭和8年5月 大阪陸軍造兵廠製
次は、弾頭が膨張している個体を見ていきます。
信管には、「八八式」の文字のほか、「昭八 5」、交差した砲身のマーク、「阪」の刻印が確認できます。これらの刻印から、昭和8年5月に大阪陸軍造兵廠(当時の名称は陸軍造兵廠大阪工廠)で製造された個体であることが分かります。
弾頭には、交差した砲身を簡略化したようにも見える「×」状のマークと、「M923」と読める番号が確認できます。
弾体には、昭和8年5月を示す「昭八 5」の刻印が確認できます。さらに、表面の劣化によって判読しづらくなっていますが、交差した砲身のマークや、「阪」に見える文字も確認できます。丸で囲まれた山形状の刻印も確認できますが、その意味は不明です。民間工場のマークである可能性もあります。
弾体と弾帯には、「M647」という同じ番号が刻印されています。
弾底には番号の刻印は確認できず、「×」あるいは十字状の刻印のみが認められます。形状から見ると、弾頭に刻まれていた「×」状の刻印と同一のものである可能性があります。
昭和17年4月 名古屋陸軍造兵廠製
最後に、昭和17年製の個体です。
信管には、「八八式」の文字のほか、「昭十三 3」、星の中に丸のあるマーク、「東」、「セ」の刻印が確認できます。なお、この個体は他の2個体とは異なり、製造年や製造工廠を示す刻印の位置が異なっています。
星の中に丸のマークと「東」の刻印から、東京第一陸軍造兵廠との関係が考えられます。しかし、東京工廠が東京第一陸軍造兵廠へ改組されたのは昭和15年であり、この信管の製造年は昭和13年です。そのため、本個体は改組前の東京工廠で製造されたものと考えるのが自然かもしれません。
なお、「セ」の刻印については、その意味は不明です。
弾頭には、「ソ8899」という番号が刻印されています。
弾体には、昭和17年4月を示す「昭十七 4」の刻印のほか、丸の中に大小2つの円を配した名古屋陸軍造兵廠の工廠マーク、丸の中に「K」の文字を配したマーク、そして「名」の文字が確認できます。
「名」の刻印は左半分の打刻が不鮮明で、これ単体では判読が困難です。しかし、工廠マークの存在を考慮すると、名古屋陸軍造兵廠を示す「名」の一部と考えてよさそうです。
また、丸囲みの「K」については詳細が不明ですが、民間工場の識別マークではないかと思われます。
弾体および弾帯には、弾頭部と共通する「ソ8899」の番号が刻印されています。
弾底にも「ソ8899」の刻印が確認できます。弾頭部、弾体、弾帯、弾底の番号がすべて一致していることから、榴弾部の各部品は当初の組み合わせを維持しているものと考えられます。
各部品の分解
次に、八九式榴弾を分解し、内部の構造や各部品を確認していきます。
昭和16年7月 相模陸軍造兵廠製
まずは、でくの房さんからお借りした個体から見ていきます。
榴弾本体は、弾頭、弾体、弾底の3つの部分に分解できます。なお、弾頭に取り付けられている信管のみ左ねじ(逆ねじ)となっていますが、この個体では固着しており、取り外すことはできませんでした。
弾底内部には、この榴弾を発射するための推進薬が収められています。底面中央には雷管を叩くための孔があり、その周囲には8個の噴気孔が設けられています。これらの噴気孔は薄い銅製の底板で塞がれており、発射時には燃焼ガスによって銅板が破られ、ガスが噴出する仕組みになっています。
弾底の外周には、銅製のリングである弾帯が取り付けられています。発射時には、この弾帯が擲弾筒内のライフリングに食い込むことで、榴弾に回転を与えます。
また、弾帯と弾底の間には5つの銀色の丸が確認できますが、これは小さなねじです。お借りしている資料品であることも考慮し、弾帯を取り外すと元通りに組み立てられなくなる可能性があるため、今回は分解を行いませんでした。
弾体の側面と底部には穴が開けられていますが、これらは安全化処理のために後から加工されたものです。本来の弾体にはこのような穴はありません。
弾体内部には炸薬が収められており、発射用の推進薬が入る弾底部とは完全に区画されています。
弾頭と信管です。弾頭内に突き出している部分は信管の尾筒体で、この内部には点火薬が収められています。
また、信管先端部は分離できる構造になっており、その内部には撃針などの撃発機構が収められています。この個体では、それらの部品の一部が残存していました。
昭和8年5月 大阪陸軍造兵廠製
次は、弾頭部が膨張している個体です。
この個体は、弾体と弾底が固着しており、分解することができませんでした。同様に、信管も固着していて取り外すことができません。
しかし、この個体の特筆すべき点は、信管内部の部品がほぼ完全な状態で残されていることです。後ほど実際の部品を確認しながら、その作動機構について詳しく見ていきたいと思います。
昭和17年4月 名古屋陸軍造兵廠製
最後の個体は保存状態が良く、弾頭、弾体、弾底、弾帯の4つの部品に分解できます。さらに、信管も取り外すことが可能です。
でくの房さんの個体とは異なり、この個体の弾帯はやや広がっており、弾底にぴったりと密着していません。また、弾帯を固定している小ねじは、本来5本あるはずですが、この個体では3本が失われています。
実は、この個体を入手して初めて弾底を取り外した際、推進薬室の中からこの小ねじが1本転がり出てきました。おそらく前所有者は、このねじの役割が分からず、とりあえず推進薬室の中に入れておいたのでしょう。
残りのねじも同様の経緯で紛失してしまったのではないかと思われます。
弾底から弾帯を取り外すと、このような状態になります。写真中央下に置いてあるのが、先ほど説明した固定用の小ねじです。非常に小さな部品であることが分かります。
また、弾底には底面だけでなく側面にも噴気孔が設けられています。推進薬が燃焼すると、高圧の燃焼ガスがこれらの孔から横方向にも噴出し、その圧力によって銅製の弾帯が瞬間的に外側へ押し広げられます。
この結果、弾帯が擲弾筒内部のライフリングに食い込み、榴弾に回転が与えられます。砲口から装填する際には滑らかに挿入できるにもかかわらず、発射時には確実にライフリングへ噛み合うのは、この仕組みによるものです。
この個体には、弾体下部に2か所の切り欠きが設けられています。なぜこの個体だけに見られるのか、その理由は分かりません。
また、弾体の底にも、やや読み取りにくいものの、「8899」の番号が刻印されています。
信管本体は左ねじとなっており、時計回りに回すことで弾頭から取り外すことができます。
一方で、尾筒体は欠損しています。信管上部は分解可能な状態でしたが、内部の撃発機構は破壊されており、安全化処理の過程で押し潰されたうえで除去されたものと思われます。
八八式小瞬発信管
八九式榴弾に使用されている信管は、「八八式小瞬発信管」と呼ばれます。名称のよく似た「八八式瞬発信管」も存在しますが、「小」の付かない八八式瞬発信管は野砲砲弾用の信管であり、別のものです。
信管部に「八八式」と刻印されていることから、八九式榴弾そのものを「八八式榴弾」と呼んでいる例を時折見かけます。しかし、これは誤りで、「八八式」はあくまで信管の名称を示しているに過ぎません。榴弾本体の正式名称は八九式榴弾です。
ちなみに、八八式小瞬発信管は、八九式重擲弾筒用の八九式榴弾および九四式代用弾(演習弾)のほか、十一年式曲射歩兵砲用の十一年式発煙弾にも使用されていました。八八式小瞬発信管の構造については、『八八式小瞬発信管取扱上の注意に関する件』2に詳しい解説があります。
陸軍歩兵学校編『擲弾筒取扱上の参考』には、『八八式小瞬発信管取扱上の注意に関する件』よりもさらに詳細な図面が掲載されています。そこで今回は、これらの図面と昭和8年5月大阪工廠製の実物信管を見比べながら、その構造を確認していきたいと思います。
まずは、大きな部品から確認していきます。ねじって取り外すことができる信管上半部を「蓋螺」、下半部を「体」と呼びます。さらに、信管先端の撃針部分は、「帽」、「撃針覆」、「撃針」、「支鐶」の4部品で構成されています。
このほかにも、撃針で雷管を撃発するための細かな部品が多数組み込まれています。そこで、これらの部品を図面の上に並べてみました。「加量筒」、「支耳」、「上部発條」、「発條受」、「下部発條」、そして安全装置として非常に重要な役割を果たす「遠心子」などが確認できます。
遠心子は、このような非常に小さな部品です。これを4個組み合わせることで円形となり、信管内部に組み付けられています。
左の銀色の部品が支耳です。支耳の外周には4つの突起が設けられています。真鍮製の部品は加量筒です。
撃発前の状態では、加量筒は支耳の上に載っているだけですが、発射時の衝撃によって支耳が加量筒の内部へ押し込まれます。すると、支耳の突起が加量筒に引っ掛かり、両者は分離できなくなります。
この金属片も信管内部から見つかりました。薄い銅製の筒が押し潰されたような形状をしていますが、図面と照らし合わせても該当する部品を見つけることができませんでした。
そのため、この部品が信管のどの部分に由来するものなのかは不明です。
なかなか写真だけでは伝わりにくいため、構造が分かりやすいように、推定される組立順に部品を並べてみました。
まず、4個の遠心子を組み合わせて円形に配置します。その上から支耳を被せることで、遠心子がばらばらにならないよう保持されます。
次に、安全栓を差し込みます。さらにその上から加量筒を被せます。発射時には慣性によって加量筒に下向きの力が加わり、支耳に向かって押し込まれますが、この状態では安全栓があるため、支耳は加量筒の内部へ入り込むことができません。
続いて、上から撃針を組み付けます。この時点では遠心子が撃針の動きを規制しているため、撃針が前進して雷管を叩くことはできません。
安全栓を抜いた後も、遠心子が所定の位置にある限り、撃針が雷管を叩くことはありません。しかし、何らかの理由で支耳が加量筒の内部へ入り込むと、遠心子を拘束していた状態が解除され、信管はいつでも撃発可能な危険な状態となります。
遠心子の状態は外観から確認することができません。そのため、『八八式小瞬発信管取扱上の注意に関する件』には、安全栓の抜き取りは必ず装填直前に行うこと、また、一度抜き取った安全栓を再び信管に差し戻してはならないことが記されています。
発射前の状態では、加量筒は支耳の上に載っています。
発射時には慣性によって加量筒が下方へ移動し、支耳が加量筒の内部へ押し込まれます。すると、支耳外周の突起が加量筒に引っ掛かり、両者は分離できない状態になります。
次に、圧縮されていた下部発條が伸びることで、加量筒と支耳を上方へ押し上げます。これにより、遠心子を拘束していた状態が解除され、遠心子は自由に動けるようになります。
榴弾は発射と同時にライフリングによって回転を与えられるため、その遠心力によって4個の遠心子は外側へ飛び散ります。
この結果、撃針を拘束するものがなくなり、榴弾は目標に命中した際に撃針が雷管を叩くことのできる状態となります。
最後に、各部品を順を追って信管に組み付けていくと、このようになります。
九四式代用弾
九四式代用弾は、八九式重擲弾筒の平時演習用として制式化された弾薬です。
『八九式重擲弾筒弾薬九四式代用弾仮制式制定の件』3によると、炸薬室下部に砂を、上部に小炸薬嚢を充填している点を除けば、その構造は八九式榴弾とほぼ同一であったようです。弾道性能も概ね同等で、炸裂時には「白色爆煌」を生じ、着弾観測を容易にする構造となっていました。
ここからは推測になりますが、弾頭と弾体上部が膨張・変形している個体は、九四式代用弾として使用されたものなのかもしれません。
演習時に少量の炸薬が炸裂し、その衝撃で弾頭が吹き飛んで分離した。その後、記念品あるいは保管用として再組立てされる際、ねじ込み可能な別個体の弾頭が組み合わされ、結果として刻印番号が一致しなくなった――。このように考えると、変形や刻印の不一致にも一定の説明がつくように思われます。
訓練射撃によって変形したとされる個体ですが、発射時の衝撃のみで弾頭部がここまで膨張するとは考えにくく、内部炸薬の作用によって内側から圧力が加わった可能性が高いように思われます。
各種図面
以下に、陸軍歩兵学校編『擲弾筒取扱上の参考』に掲載されている八九式榴弾関連の図面を掲載します。構造や作動原理を理解するうえで参考になる資料です。
まずは、八九式榴弾の全体図です。本記事では、各部の名称についてはこの図に記載された呼称を使用しています。
八八式小瞬発信管の図面です。各部品の名称や作動機構が詳細に記載されており、本記事の信管構造および作動原理の解説は、主にこの図面を参考にしています。
演習弾の図面も掲載されていました。弾体の形状は八九式榴弾とはやや異なっており、弾底中央部が削り込まれ、発射用の薬筒が弾体内部まで入り込む構造になっています。
また、八九式榴弾のように噴射ガスの圧力で銅製の弾帯を膨張させてライフリングに食い込ませるのではなく、「導子」と呼ばれる突起があらかじめ設けられているようです。
信管も実用信管とは異なり、外観を模しただけの簡略な構造に見えます。これらの点から、この演習弾は前述の九四式代用弾とは別の演習弾ではないかと思われます。
3Dデータの作成
八九式榴弾も、3Dスキャナーを使用して形状データを取得してみました。私が使用しているのは、Revopoint Metro Y Pro という3Dスキャナーで、公称0.01mmの精度で物体の形状を取り込むことができます。
青色レーザーを採用しているため、金属や黒い物体でも正確にデータを取得できます。私の用途には、まさにぴったりのスキャナーです。
PC上では、このように3Dデータとして取り込まれます。データの処理には3D演算性能が必要になるため、使用するPCも比較的高性能なものが必要です。
底面は一度のスキャンでは取得できないため、向きを変えて別途スキャンし、後からソフトウェア上で合成しています。
マーカーブロックなどの不要なデータを削除し、各方向から取得したデータを合成したものがこちらです。小さな穴や切り欠きといった細部も、かなり正確に再現できています。
ただし、スキャンデータには微細なノイズや形状の乱れも含まれているため、このままでは3Dプリント用のマスターデータには適しません。そこで、取得したデータを参考にしながら、CAD上で一から設計し直していきます。
この八九式榴弾は、将来的に商品化を予定しています。私は以前、商業誌に模型の作例を掲載していただいていたこともありますので、模型製作の経験を活かして細部の質感にもこだわったものにしたいと考えています。
脚注
- 「八九式重擲弾筒並同弾薬八九式榴弾仮制式制定の件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C01003949000、密大日記 第4冊 昭和6年(防衛省防衛研究所) ↩︎
- 「八八式小瞬発信管取扱上の注意に関する件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C01001846900、永存書類甲輯第5類第1冊 昭和15年(防衛省防衛研究所) ↩︎
- 「八九式重擲弾筒弾薬九四式代用弾仮制式制定の件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C01001503300、永存書類甲輯第5類第1冊 昭和12年(防衛省防衛研究所) ↩︎













































































